板の上のゆめ

劇場に行きたい病の会社員ですが

魔法にかけられて

藤岡正明さんのCDで「So Close」を聴いて興味を持ち、DVDをレンタルしてみた。

 ☆ストーリー(ネタバレ有)

アンダレーシアに住むジゼルが歌を歌っていると、歌に誘われてトロールが襲ってきた。トロールを追ってエドワード王子がジゼルを助けに現れ、2人は恋に落ちる。すぐに結婚が決まるが、エドワードの継母でアンダレーシアを治めるナリッサ女王は2人の結婚を良く思わない。ナリッサは女王の座を追われることを恐れ、結婚式の日にジゼルを井戸から突き落とす。ジゼルが着いたのは、アンダレーシアではなく現代のニューヨークだった。

突然マンホールから出てきたドレス姿のジゼルに親切にしてくれる人はニューヨークにはいなかったが、ジゼルは弁護士のロバートとその娘ののモーガンと出会う。支離滅裂なことを話すジゼルを放っておけず、ロバートはジゼルを自宅に連れてくる。

アンダレーシアと現代の常識は異なり、ジゼルの行動はロバートを悩ませる。付き合いきれないと思っていたロバートだが、ジゼルのおかげで恋人と仲直りができたり、ロバートが担当していた離婚調停中の夫婦が仲直りしたり、ジゼルが与える影響を見て次第にジゼルを見直していく。

ある日エドワード王子がジゼルを見つけ、ジゼルとエドワードはアンダレーシアに帰ることになる。ロバートとモーガンはもっとジゼルと過ごしたかったと悲しむ。

ジゼルは最後にニューヨークで開かれる舞踏会に行ってからアンダレーシアに帰りたいと言い、一度は別れたロバートと舞踏会で再会する。再び会えたジゼルとロバートだが、ジゼルにはエドワード、ロバートにはナンシーというパートナーがいた。舞踏会では途中で元々のパートナーではなく他の人のパートナーと踊る曲があり、ジゼルはロバートと踊る。

会場から立ち去る前、一人になったジゼルの前に魔法使いの老婆に化けたナリッサが現れ、リンゴを食べさせる。リンゴを齧ったジゼルは倒れる。ジゼルを目覚めさせるには「真実の愛のキス」が必要。エドワードがキスをするがジゼルは目覚めない。ジゼルはロバートのキスで目覚める。

ナリッサは怒りドラゴンの姿になってロバートを外に連れ去るがジゼルが助けに向かい、ナリッサは建物の屋根から落ちて消滅。ジゼルとロバートは結ばれ、ロバートの娘モーガンと3人で幸せな日々を送る。

 

というお話。長くなった。

 

☆感想

この映画の売りは、アンダレーシアでの場面はアニメーション、ニューヨークでの場面は実写というところ。実際はほぼ実写で進み、アニメーションは最初と最後に使われるくらい。

 

アンダレーシアから来たジゼルは物語のお姫様らしく世間知らずで現代に馴染めない。見ていてそこにイライラさせられたがまあキュートなのでいつの間にか許していた。

でもキュートなだけではなくて、ナリッサに立ち向かう時には靴を脱ぎ捨て剣を持って走り出す勇ましさもある。

勇ましさならロバートの彼女ナンシーもなかなか。ナンシーも幸せになれて良かった。

 

私が映画を見るきっかけになった「So Close」が流れるのは、舞踏会の場面だった。「曲が終わったらパートナーの元に戻る。この幸せな瞬間が少しでも長く続いて欲しい、曲が終わらなければ良いのに」というジゼルとロバートの気持ちが伝わってくる、良い場面。ディズニー映画なんだからハッピーエンドなんでしょう?と言う気持ちで見ているのに、切なくて切なくて。

 

この映画の中で、ハッとさせられた台詞がある。

「誰だって問題はあるでしょう?上手くいかない時があるのよ。だからと言って良い時まで捨てる必要がある?」

離婚をやめることにした女性の言葉。カッとなって離婚の話を進めてしまっていたのだろうがジゼルのおかげで険悪な夫婦仲が一変、ロバートの前でキスする位幸せそうな姿を見せてくる。一時の感情に流されて大切な人を失うことが馬鹿げていることに気付けた2人はこれからも仲良く、たまには喧嘩して仲直りして、歩んでいけるのでしょう。

私にとっての良い時は劇場で観劇している時。飛行機代、宿代等地方民なので都内に住んでいる人より観劇を趣味にし難い所があるけど、観劇はやめたくない。「よく行くね」と思われる位のお金がかかっているけど、何と言われてもやめない。観劇に行き続ける為の努力をし続けたい。

 

魔法にかけられて」は夢を忘れそうになった時に見ると良い映画、かな。

 

 

1789 東京のおわり

1789の東京千秋楽が終わった。

演目の発表、キャストの発表、チケットを購入し観劇するまではあんなに長かったのに、帝劇での公演はあっという間に終わってしまった。幕が開いたらものすごいスピードで展開していく1789そのもののように。

 

私は2回観劇した。初日から一週間後の回を観たので、千秋楽までにどう変化したのかは知らない。せめてカーテンコールの映像だけでもYouTubeで見れるようにしてくれているのはありがたい。

 

カーテンコールで最後に出てくるのが主演の加藤和樹であることがわかっているのに、劇場で既に見ているのに、ファンとして誇らしい。真ん中に立っている姿を見ることができて嬉しい。

 

でも私は常に加藤和樹に対して「まだ上手くなれるよね?」と思っている。偉そうですけど。自分を磨いて進化していく人だと信じている。ひたむきに努力を続けて欲しい。そして「こんなこともできるようになっていたのか」と驚かせて欲しい。

 

和樹は「見た方が"楽しかった"で終わるのではなく、"次、どんな曲を歌うんだろう""次はどんな役をやるのかな"と、もう一度見たい欲や期待感が高まるようなものを発信していきたいです」と「ヒョウゲンシャノキモチ。」の中で話している。まさに私はその思いを持ったファンです。これからもついていきます!

話せないなら書け

例えば仕事で電話を受け、自分では判断できないことを聞かれたら。電話を保留にしている間に自分が聞いた内容を簡潔に纏めて同僚に伝え、指示をもらう。

 

そんな時、私は焦る。メモを取った内容を何からどう伝えるか、順番がぐちゃぐちゃになって理解し難い話し方になってしまう。自分でも自覚はあるので、いつも同僚には申し訳無く思っている。

 

仕事を始めた頃よりは幾らか上手くなったはずだが、人と比べるとやはり私の説明は下手だ。頭の中で情報を整理する速度が遅く、整理されていないものを無理矢理言葉にしようとするから混乱しているのだと思う。

 

だが最近、文章を書くこと、または入力しながら組み立てていくことならば、自分のペースで文章を作って伝えることが出来ると気付いた。

当たり前なのだが。

 

私は文章を書くことは嫌いではなかった。どちらかと言うと好きな方だ。

 

なのでこの際口での説明が苦手なことは置いておいて、「どちらかと言うと好きな方」の書くことを鍛えたいと思う。

このブログはその一環として始めることにする。